Saturday, September 27, 2008

エジプト2日目(その弐)

西岸の墓だらけの「死者の都」と相反して、ルクソール東岸・通称「生者の都」へ移動。
【東から登った(生者)お日様が西に沈む(死者)】ということで、これはエジプト文明の基盤である信念からによる。古来から太陽は死とその復活の象徴とされていたので、太陽にまつわる事柄がエジプト文明には多い。

映画「ハムナプトラ(原題Mummy)」を見た人なら分かるかな~やけど、シリーズ一つ目でスカラベっていう虫がよく出てくる。日本名は「ふんころがし」なんやけど、あのふんころがしが何千年も前のエジプトでは丸々とした糞を転がしてる様子を、太陽の回転を司るケプリ神の化身とみなし、再生・復活の象徴として崇拝されていたんですね~  “〆(゚_゚*)フムフム

エジプトでは、あちこちでスカラベのアクセサリーを見る。壁画にもよく描かれている。

まずは、エジプト最大級の神殿である、カルナック神殿へ。

ここは東岸最大の観光サイトである  ρ(´ー`) コレ

ここが10あるうちの第1塔門。この塔門まで左右に40体も羊の頭を持つスフィンクスが並ぶ。
歴代の11人の王たちが、莫大な資産をかけ、追加追加で増築・修復していったので、とにかく広い! ε=ε=ヘ(;゚∇゚)ノ ゴーゴー♪

私たちのツアー以外にも世界中からの観光客が集まる。すごい人・人・人!


↑↑ アメン神像。当時の最高神。日本のお寺で言えば、奈良の大仏???!!!


134本もある柱の中で、入ってすぐにある21mもある12本の開花式パピルス柱。
パピルスとは・・・

アフリカに繁茂するカヤツリグサ科の植物で、エジプト文明には馴染みが深い。というのも、古代エジプトではパピルス紙と言って、最古の紙が作られており、実際には植物の茎の中身を伸ばし乾燥させて作っているので「紙」ではないものの、英語の paper は、「papyrus」に由来する!!くらいすごいモノである!







(今このパソコンからは動画は入れれないけど、アメリカに行ってから、沢山撮ってある動画もアップするので、乞うご期待!パピルス紙の作り方のデモンストレーションも撮ってるよ~。)

ハトシェプスト女王のオベリスク(写真左側の細長いやつ)。高さ29.56m・重さ約323t!デカイ!!オベリスクは、一枚岩で作られており、断面は四角形で先端部はピラミッドをかたどった四角錘。当時は金銀で覆われており、太陽神のシンボルとして光輝いていたとか。王のみが建てることを許され、いわゆる王の権力(太陽に近い存在をアピールするため)の記念碑。オベリスクの側面には王の名前が彫られてるので、誰の物かが分かる。

日本が縄文時代で土器を作ってた頃に掘られた装飾がまだキレイに残ってるのには感動 キャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー

↑↑ 羊頭のスフィンクスたちのおしり ↑↑


カルナック神殿を離れ、2km離れたトコロにあるルクソール神殿へ・・・ ところで、カルナック神殿とルクソール神殿間は3kmに亘りスフィンクス参道でつながっていた。今はつながってないけどね。

ラムセス2世の座像。王の石像がたくさん あちこちにある。立ってる像もあれば座ってる像もある。ガイドさんによると、立ってるのはまだ王が生きてる時に建てられ、死んだ後には座像が建てられたらしい。なるほど~。日本語ですら早口だったけど、知識豊富なガイドさんだったので、ためになりました。ただ昼間の一番暑いときに断食をしないといけなかったので、午後は少しテンションが下っていたような?ミ(ノ;_ _)ノ =3


カルトゥーシュが掘られている。「カルトゥーシュ」とは、古代エジプトで使われていたヒエログリフ文字で、周りを曲線で囲まれているのがファラオの名前で、遺跡の壁などに見られる。
↑ これが、ヒエログリフ。アルファベットから置き換えられる。
↑ これはクレオパトラのカルトゥーシュ。シルバー・ゴールドのネックレスとして、エジプト土産の定番である。英語を上記のヒエログリフで変換して、自分の名前入りのカルトゥーシュアクセサリーが作れる。私はヒエログリフのTシャツを4枚購入(両親とビルとビル父の分)。例の如く、自分が欲しい分を買うのは最後の最後になる。

私の後ろにある大きい柱は、ルクソール神殿正面にあるオベリスク。もともとオベリスクは左右対称に2本あったが、1833年 当時の大統領が時計台欲しさに右にあったオベリスクを、フランスと物々交換今はフランス・パリのコンコルド広場に置かれている!エジプト人は今でも大後悔しているらしい。現在野外に残っているオベリスクは30本。その内、エジプトに残っているものはたったの7本。13本はローマ帝国が戦利品として持ち帰り、あとはパリ,ロンドン,ニューヨーク,イスタンブール,フィレンツェ,ウルビーノ(イタリア中部の小都市),カターニア(シチリア島),ウインボーン(イギリス南部の小都市),アルル(南仏),カイザリア(イスラエル)に1本ずつ。なんか、エジプトに同情してしまいます・・・。ちなみにワシントンにあるオベリスクはレプリカ。


最後に第2回目の強制的お土産物屋訪問。エジプトは香水ビンが有名で、目の前で好きな匂いに調合してくれる。

そして、2日目の夜は過ぎていく・・・ (*'O'*)お(*'∇'*)や(*'・'*)す(*'ー'*)み♪

エジプト2日目(その壱)

エジプトの首都であるカイロから、1時間 国内便に乗り、第一目的地であるルクソールに前日の真夜中に到着。 時差ぼけよりも長時間の機内束縛のおかげで第一泊目はグッスリ (mー_ー)m.。o○ zZZZ

ツアー客の中で、私のスーツケース(カラカラ付きの手で引くタイプの)が一番小さくて、実際他の人の半分サイズやったから、移動は し易かった。
一人やったし。


翌朝、集合の2時間前には準備完了し、バイキングである朝食も早々と済ませ、5つ星ホテル内を探索。普段日本でビルと一緒のときは(記念日でもない限り)、野宿(笑)か安宿が常識なので、希少な豪華ホテルチャンスにテンションは一気に上がる O(≧▽≦)O ワーイ
背景はすっかり砂漠


そして、不思議な鳥を見つける。


★ エジプトっぽいタペストリー  ★




まず私たちが向ったのは、夕日が沈むナイル川西岸に位置する、ルクソール西岸・通称「死者の都」
ギザのピラミッド造りが盛んだった1000年後(今から約3500年前)に、盗掘を避けるため、王家の谷と呼ばれる地下の岩窟墓の時代が始まる(64のお墓がある)。実際、盗掘を避けられたのは、ツタンカーメンの墓くらいで、後の金銀財宝はゴッソリ盗まれている キョロ(゚.゚*)(*゚.゚)キョロ




王家の谷までは、トラムで移動。ルクソールの毎日の気温は日中40℃。日陰に入ると湿気がない分 過ごし易いけど、なかなか日陰がない!ので、事実上は炎天下バリバリで砂まみれ。SPF50の日焼け止めを塗っていてもジリジリと肌が焼けていくのを感じる・・・。とにかく暑い! この数時間だけで3リットルくらいの水をがぶ飲み

息がすぐにあがってしまう (;´Д`A ```

王墓入場は有料。私たちは3箇所に入れるチケットを購入。

まず①ラムセス4世の王墓。今は墓内のカメラ&ビデオ撮影は全面禁止。ツアー客の一人(若目の子だったので、私たちは「ぼく」と裏では呼んでいた)が禁止だとガイドさんにもくれぐれも忠告されていたのに、写真撮影を強行して警備に捕まる。そのお陰で他のツアー客に迷惑をかける。ということで、当時は写真撮影OKだった時に撮られた写真をどうぞ↓↓↓

当時、棺が置かれていた玄室までの直線上の廊下の壁・天井には神様の姿が描かれた「死者の書」と呼ばれる挿画がず~~っと続く。死んだ後も神と近い存在であり、復活を約束されているといった内容。中は換気も悪く、
 蒸し風呂状態。息苦しく感じる。

壁画もキレイに残っている

その後②ラムセス3世の王墓 と③ラムセス1世の王墓を見学。どれも写真撮影禁止。墓内にも係員がいて、目を光らせている。手すりに捕まって、観光客がダンゴになって一歩一歩進む。

そして次は、かの有名なツタンカーメン王墓(追加で80エジプトポンド払う。日本円で1600円。もちろん外国人価格。エジプトの生活水準を考えるとバカ高い!でもどうしても見たいので、ここでは金額は問題ではナイ!!)

ツタンカーメンのお墓は他と違いえらい小規模。父親が他界してたった9歳でファラオ(王)になって、18歳で死んでしまったので、お墓の準備が間に合わなかったらしい。ファラオは即位するとすぐ自分の墓建設に取り掛かって、数十年かけて立派なお墓を造るらしい。ツタンカーメンは若く亡くなってしまったので、貴族用に掘っていたお墓を代用したとか・・・。殺害された疑惑もあるけど、最近読んだ雑誌では、怪我をしてその感染症で死亡した可能性が高いみたい。他の大きなお墓(ラムセス6世)の前に埋もれるようにひっそり造られていたので、盗掘から免れていたらしい。他の王墓から見つかったミイラは全てカイロのエジプト考古学博物館に保管されていて、いくつかはミイラ室(有料)で展示されてるけど、ツタンカーメンのミイラは唯一、王家の谷の自分のお墓の棺の中に安置されている。

↑この中にツタンカーメンのミイラが入っている


そして、有名なハトシェプスト女王葬祭殿。ハトシェプスト女王はエジプトでは異例の女性の国王。夫のトトメス2世が他界して、側室の子どもである世継ぎのトトメス3世が幼いことを利用して強引に王位を奪う。大人になったトトメス3世の関係者に殺されるまで、付け髭までして男装して政治を行なっていた。(ちなみにこのトトメスやらツタンカーメンやらラムセスやらは新王朝時代の王で、中国で言うところの三国志くらい人気。なので、エジプト文化好きはこの時代がお気に入り)

写真は日本語ペラペラのエジプト人の日本語ガイドのオマルさん

扇形に広がる大自然の崖を背景にして3段のテラスがある。この写真は2段目から3段目への階段を移動中。そして気温上昇はマックスへ。帽子をホテルに忘れ、殺人的太陽の下で頭がフラフラし始める ( ̄◇ ̄)ポケー

↑ 女性らしい顔で付け髭があるハトシェプスト女王 ↑

当時のレリーフがキレイに残っている。

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ハトシェプスト女王葬祭殿を後にして、この場所が11年前に日本人観光客が殺されたテロ事件現場であったコトを教えてもらう。しかも殺された日本人観光客とその添乗員は私たちと同じH.I.S.ツアーだったらしい・・・。

『1997年11月17日午前9時(現地時間)ごろ、ルクソールの王家の谷近くにある、ハトシェプスト女王葬祭殿の前にて、外国人観光客ら200名に向けて待ち伏せていた少なくとも6名(もっと多かったという証言もある)のテロリストが、守衛を襲撃した後、無差別に火器を乱射し銃弾がなくなると短剣で襲ったという。この襲撃でスイス人、ドイツ人、日本人(観光客9名、添乗員1名)ら観光客61名が殺害された。
犯人らはタクシーを強奪し(犯人らは砂漠を徒歩で渡ってきて犯行に及んだため逃走手段がなかった)、さらには観光バスの運転手を脅迫して逃走しようとした。しかし、収入の糧である観光客を殺傷した犯人を逃がすまいと怒った住民の一部と警官隊に行く手を阻まれ、犯人らはバスから降りて銃撃戦をしながら逃走したが、最終的には全員が射殺された。』 【ウィキペディア(Wikipedia)より】

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ツアーでは当たり前の、途中途中で寄る羽目になる土産物屋(たいてい高め)のおじちゃん

メムノンの巨像(アメンヘテプ3世の像)。何もないトコロにポツーンと2体の座像。鳩がいっぱい住んでた。

昼食のバターライスとスチーム野菜と牛肉の炒め物&命の水

レストランをそそくさと出て近くの売店を探索してみる。この写真を撮った後このおじちゃんに「買え買え」としつこい勧誘に遭ってしまう。店で何かを買ってからその後で写真を撮らせてもらうことを、この時 実践して学ぶ。

Wednesday, September 24, 2008

エジプト1日目

9月14日:関空での集合場所には計37名のツアー客がおとなしく待っていました。今回は、おじ様・おば様ツアーになるだろうと思っていた予想に反し、チラッと確認すると、以外に若い人が多い。20代~60代まで年層はバラバラで、一人旅は私を入れて5人 o(~∇~*o)(o*~∇~)o


長時間乗る割には小さめの飛行機で(横8列)、席ごとにスクリーンもなく、エンターテイメントに欠ける機中でしたが、そこは現地でのウキウキドキドキが勝って、全く苦にもならず O(≧▽≦)O ワーイ
関空からはるばる13時間のフライトで
私にとって初アフリカ大陸!である
エジプトの首都のカイロ
に到着しました ε=ε=ε=(ノ^∇^)ノ
ここから、第一の目的地であるルクソールに国内線で移動です。

空港内の公衆電話。鮮やか緑
数字の横にあるのが、アラビア数字。5が「0」で 0が「・」で 6が「7」と非常にややこしい。
ちなみに文字は横書きで、右から左に書きます。


★ エジプトポンド ★

表が私たちの慣れ親しんでる数字標記(英語)で、裏がすっかりアラビア文字オンリー。
ちなみに、20円=1エジプトポンド
通貨はエジプトポンドとアメリカドル(1ドル=5エジプトポンド)が使える。大きな観光地のショッピングは日本円もかろうじて使える。
ホテル到着後は日付も変わっており、移動だけの第1日目は
過ぎていきました・・・。
(*'O'*)お(*'∇'*)や(*'・'*)す(*'ー'*)み♪